【本要約】学問のすすめ 福澤諭吉 第四編・第五編【現代語訳】

学問のすすめの要約Part2として第四編と第五編の要約を行いました。

初編~第三編の要約

筆者である福澤諭吉も書中で述べていますが、この四編と五編は学者向けに書かれているものなので、全体の中でも文体が難しくなっています。

四編五編以外は、もともとのコンセプトである一般人のための教養書レベルですので、ここが分からなくても特に問題はないようです。

第四編 国民の気風が国を作る

日本の独立という課題

日本が独立を保てるのかどうかは2、30年たってみないと分からないなどと言う人が世の中にはいます。

こんな話が出てくるのは、国民が日本が独立を保てるかどうかに疑問があるからです。

例えばイギリスに行って町の人に「イギリスが独立を保てますか」と聞いたなら人々は笑って答えてもくれないでしょう。つまり彼らはそんなことを疑う余地もないのです。

日本は進歩したといってもまだまだです。

政府と国民が力を合わせて初めて一国の整備が成功するのです、お互いに責任を果たし協力し合ってこの国の独立を維持しなければなりません。

国を維持するには内外のバランスを整えることが大事です。

政府は内側の力、国民は外側の力です。政府に全てを任し、放っておいたならこの国の独立は1日として保たないでしょう。

政府専制の限界

日本が外国に劣っている点が「学術」「経済」「法律」の三つです。

世の中の文明はこの三つに関係しており、これらがきちんとしていなければ独立は保たれません。日本はこのうち一つもきちんとしていません。

政府の人間が怠けていたわけでも、能力がなかったわけでもありませんが、どうしようもない原因で今はこうなっています。

その原因とは、国民の無知無学です。

政府は原因が分かっているのでいろいろ頑張ってはいますが、結局今も専制政府と無気力な愚民という構造は変わっていません。

長年の専制政治で政府は国民を苦しめていたので、国民は政府をごまかすことで安全を手に入れてきました。これは生活の必須道具なので、誰も恥じることもなく疑問を持つこともありませんでした。

これがかつての政府と国民の気風というものとなのですが、最近になって政府の気風は変わっても、国民の気風はそう簡単には変わりません。

例を見てみましょう。

個人をダメにする気風

政府の人間でも一般の市民でも一人一人で見てみれば優秀な人間はたくさんいます。

しかしこの優秀な人が政府に集まって政治をすると賛成しかねる政策をし、優秀な市民が集まると役人を騙して恥じることもありません。

なぜこのようなことになるのでしょうか?

それは集団になると気風に流されて個人としての働きをしていないためだと考えられます。

政府が学術・経済・法律を興そうとしてもダメだったのはここに原因があります。

にもかかわらず一時的に政府が強制して国民をコントロールし、知や徳の進展を待つ、という方法をしようというのは愚策です。

政府が権威を発すれば国民はウソで表面を繕って対応するでしょう、これは文明の進展に良いことはありません。

だから言うのです、国を発展させるのに政府の力だけではダメだと。

洋学者の役割と弱点

国の発展には国民の悪しき気風を払しょくする必要があります。これは政府の命令や、識者が諭す程度ではできないことです。

必要なのは世の中の人に先立って自分自身で事業を起こし、国民に手本を見せてくれる人です。

これが期待できるのは、今の世では洋学者だけです。しかしその洋学者も現実には頼ることができません。

彼らは西洋のことに精通しているにも関わらず、官僚として偉くなることばかりを考え、民間でその力を発揮しようとは全く考えないのです。

彼らは官職で甘い汁を吸おうとしているのではなく、事業というものは政府でしかなせないとう古い考えから抜け出せないのです。これは高名な先生であっても同じなのです。

時代は変わっても気風が変わっていないので、誰もがみな官の仕事を目指し、官に忖度をし、全く独立の気概はありません。

日本には政府はあるが、独立した国民はいないといっても過言ではありません。

だから洋学者にも世の発展を頼ることはできないのです。

管理人
ここで言われている国民に手本を見せてくれる事業者こそ、その後出てくる岩崎弥太郎であったり、渋沢栄一であったりするわけだね。

民間こそが手本となる

見てきた通り、文明の発展と国の独立の維持は政府の力だけでできる者ではないが、洋学者に頼るわけにもいきません。

そうなるとそれはわれわれ慶應義塾*の同志たちの使命であり、事業を自ら興し、愚かな国民の手本となるだけでなく、洋学者の先に立って方向を示すべきです。

*現在の慶應義塾大学。福澤諭吉は慶應義塾の創始者。当時の慶應義塾は洋学を志す人たちが集まって勉強していた。

そもそも何かをするのには命令するよりも諭した方がよく、さらにいいのは手本を見せることです。

政府は命令はできますが、諭したり手本を見せたりはできません。それらは民間の役目なのです。

われわれは法律を守り国民の分を超えないことならば何でもやります。今われわれがやるべきは、古い慣習を打ち破り、国民の権理を回復させることなのです。

もちろんたった数人のわれわれで全てができるわけではありませんが、百聞は一見に如かず、政府に頼らない実例を見せることで、国民に向かうべき方向を示すことができます。

そうすれば国民が向かう先が定まれば、上が威張り、下が卑屈になる悪習を消滅させ、本当の日本国民が誕生することになるでしょう。

これにより学術・経済・法律が国民のものとなり、国民と政府の力のバランスが取れます。そうして独立を維持すべきなのです。

第四編まとめ
  • 独立には政府だけでなく国民の力も必要
  • だけど国民は無知無学で江戸時代の被支配者階級の気分のまま
  • 個人で優秀な人たちも集まるとやっぱり江戸時代の気風になる
  • 民間で事業を起こす手本になる人が必要
  • 海外を知っている洋学者に期待したいがそれもダメ
  • 慶應義塾の同士は違うからみんなの手本となって方向性を示す
管理人
第三編で国民にも独立心が必要って言ってたけど、第四編はそれがあるのはわれわれ慶應義塾生だけだよっていうのを言いたかった感が強いね。後世に残る書籍に慶應大学の宣伝をきちんと入れる創立者の鑑だね。

第五編 国をリードする人材とは

明治日本の状況

日本は古来より政府はいろいろ変わってきたが、独立は守り通してきました。

しかしこの独立というのは、一国内の独立であって、外国に対して戦って維持してきた独立ではありません。

いまや海外と関係のない仕事などないというほど外国との関係が深まる中で、西洋と比較して我が国の力の差は嘆くしかなく、独立というのも薄弱であると感じざるを得ません。

文明の形と精神の反比例

文明の形というのは、学校とか工業、陸海軍など形あるもので評価してはいけません。このようなものは金を出せば買えるのです。

では真に文明の精神と呼ぶべき形はないが最も偉大で重要なものとはなんでしょうか?

それは「人民独立の気概」です。

近年、政府によって形あるものは造られましたが、、国民は外国に対して独立を競おうとしないどころか、外国を恐れています。

このような気概では形をあるものは意味を成しません。

国民が無気力な原因は、非常に長い間、政府が権力を握っていて、国民は政府の言いなりになっていたことです。

世の中のすべてのことは、進歩しなければ退歩し、退歩しなければ進歩します。そこにとどまることはありません。

日本は形の上で文明は進歩していますが、国民の気概は退歩しているように思えます。

室町・江戸幕府時代は、民を支配するのに政府は力のみを用いました。しかし明治政府は力のみならず知恵を用います。

結果として昔の政府は人民を表面的に支配し、昔の民は政府を鬼のように思っていたのに対して、今の政府は人民を心の底まで支配し、今の民は政府を神のようにあがめています。

このままでは国の形はできても、人民の気概は衰退し、文明の精神は増々衰えていくでしょう。

人民は政府に対して委縮しています。この状態でどうやって外国と競っていくのでしょうか?

だから言うのです、人民に独立の気概がなければ、形だけ作っても無駄になるばかりか国民を委縮させる道具になるだけだと。

中産階級の役割

これまでに述べたことから、国の文明は、上の方、つまり政府から起こるべきではなく、また下の方、人民から生まれるものでもありません。

必ずその中間から興って、庶民に方向性を示し、政府に並び立つことで初めて成功を期待するべきなのです。

外国の例であれば、蒸気機関の発明者であるワットや鉄道の発明者のスティーブンソン、商売の法則を一変させた神の見えざる手で有名な経済学者アダム・スミスなどは全て中産階級の人で、国の大臣でもないし、下層労働者でもありません。

文明を行うのは人民であり、それを保護するのが政府なのです。

これにより国民は自分自身がその文明の所有者であると考え、文明の事物は全て国民の気力を増す道具となり、どんなものでも国の独立の助けとなります。

今の我が国とは正反対です。

学問をやる者の使命

我が国の中産階級において率先して国の独立を維持すべき人たちは学者たちだけですが、時勢が分からないのか気風に流されているのか知らないが、みな政府の人間となり瑣末な仕事で疲弊しています。

これは本人たちのせいではなく、今の世がそうさせているのであるけれど、国の文明にしてみれば一大災難です。

しかし慶應義塾の同志たちだけはこの災難を免れて、独立の塾にて独立の気概を養い、その目指すところは全国の独立を維持することただ一つです。

台風のような世の時勢に対抗するには勇気が必要ですが、読書だけでは勇気は付きません。

読書は学問の技術であり、学問は物事をなすための技術にすぎません。実地にて物事に触れる経験がなければ勇気は身に付かないのです。

慶應義塾で技術としての学問を習得したものは、実際の文明のあらゆる分野の事業で実行しなければなりません。

力の薄弱な独立を、不動の基礎を持った独立へとし、外国と争っても負けない国へとなすのです。

数十年後に振り返って、昔は独立の程度が低かったなと思えるようであれば愉快なことです。学者はその方針をしっかりと決めて、覚悟を持って取り組まなければなりません。

第五編まとめ
  • 文明には国民の独立の気概が必要
  • 政府が優秀なために逆に国民の独立の気概はどんどん低くなっている
  • 文明を興すのは上(政府)でもなく下(庶民)でもなく中産階級
  • 文明を行うのは国民、保護するのが政府
  • 日本の中産階級で文明を興せるのは慶應義塾生だけ
  • 慶應義塾生は学んだことを実行して国の独立を維持しなけばならない
管理人
四編も五編も世の洋学者たちに発破かけた上で、考えに賛同する人を慶應義塾に呼び込みたい雰囲気が見て取れるね。最終的に筆者のセミナーに誘導するビジネス書の源流はここにあった?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA