【本要約】上級国民/下級国民 橘玲【社会】

2019年に池袋で老人が車で暴走し、親子2人が犠牲になる事件がありました。

この事件で容疑者男性はメディアで飯塚幸三元院長と表記され、容疑者とされていませんでした。

これはこの男性が東大卒の旧通産省の元役員であることから、メディアが忖度していると推測され、ネット上では「上級国民だから逮捕されない」と揶揄されていました。

そんなニュースで騒がれる中、発売されたこの「上級国民/下級国民」は当時ランキングでも上位に入るほど世間で注目される本となりました。

概要

先にお伝えしておきますが、池袋の事件をメインで取り扱う本ではありません。

今現在の日本や世界での格差というのはどのようなもので、それはどういう原因で、どのような問題を起こしているのか、というのを記している本になっています。

Part 1~Part 3に分かれて話が展開されます。

Part 1では日本国内のバブル前~バブル崩壊後2000年代、そして令和の時代にかけて世代間で上級国民と下級国民という分断が形成されたという話です。

団塊世代が1980年以降は常に社会の中心であり、彼らにとって都合の良いよう日本の構造は作られている(上級国民)。そのため彼らの既得権益を守るために、それ以降の世代(下級国民)が犠牲になっているということです。

Part 2では学歴と金と権力が上級国民と下級国民を分断しているという話です。

社会調査により、学歴によって上級/下級意識や幸福度にはっきりとした分断が確認されました。高学歴は上級意識、幸福感が高く、低学歴はその逆であると。

一方で高学歴・低学歴に関わらず若年男性は幸福感が低いという結果も出ました。

これは昔よりも結婚離婚含めた自由恋愛が拡大したせいで、モテる男性(カネ/権力を持っている、上級国民)が女性を占有し、非モテ(カネも権力もない、下級国民)との格差が大きくなったせいで、若年層の男性の非モテ層の幸福度が大幅に低下しているという結論でした。

Part 3では世界のリベラル化による上級/下級の分断の話です。

世界はどんどん自由化(リベラル化)していますが、それに伴い能力主義・自己責任主義が主流になりつつあります。

その世界では、高学歴で高収入、アイデンティティもいくつも持っており仕事さえあればどこでも行けるリバタニア(上級国民)と、低学歴で定収入、アイデンティティは一つしかなくグローバル化に対応できない地元でしか生きられないドメスティックス(下級国民)の2種類の人間に分断されています。

この2つを現代の知識社会で分断することになった原因は「知能」です。

リバタニアは高学歴で知能が高いので、自由になるほど幸せになりますが、ドメスティックスは低学歴で知能が低いので自由になるほど不幸になるのです。

全体の雑な要約
日本では知能(学歴)、海外でも知能が上級下級を隔てる最大の要素。知識社会において教育は格差拡大装置だというのは福沢諭吉も言っていた。

Part 1 「下級国民」の誕生

平成で起きたこと

平成は端的に言ってしまえば「団塊の世代の雇用(正社員の既得権益)を守る」ための30年でした。

1980年代~2000年代にかけての25年間、つまりバブル前からバブル期を経て、バブル崩壊後においても正社員の割合は全体としてはほぼ横ばいで変わることはありませんでした。

その間にバブル崩壊で企業がリストラに血眼になり、派遣社員が解禁されているにも関わらずです。

これは何故なのか?答えは若者の、特に20代男性の雇用破壊です。

20代男性の正社員率は、1980年代には75%あったのが2000年代には62%へと大きく下がっていました。

若者の雇用を破壊することで、団塊の世代の雇用が守られていたのです。

令和で起きること

令和の時代になると団塊の世代は会社から引退し、年金をもらい始めました。既得権益が雇用から年金に移ったのです。

令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年となります

政治家にとって、団塊の世代は最大の票田。この票田の社会保障を守るために、現役世代の負担が軽くなるような改革は起こされません。

保険料を引き上げたり、消費税を上げたりしながら対症療法的に応じていく、そして2040年を過ぎれば高齢化率は下がっていくというわけです。

その先では「上級国民」たる団塊の世代が日本を食いつぶした結果、「下級国民」があふれかえる貧乏くさい社会か、あるいは国家破産して日本人が難民化する未来が待ち受けています。

Part 1まとめ
平成・令和の時代は、団塊世代が何事でも優遇されている上級国民、それ以降の世代は団塊世代の既得権益を守るために割を食っている下級国民という格差が生まれた。

Part 2 「モテ」と「非モテ」の分断

日本のアンダークラス

まずは「男性/女性」「若年/壮年」「大卒/非大卒」のパラメーターで8つのグループに分けて社会調査を行い、そこから求められたポジティブ感情を比較をした結果からです。

ポジティブ感情は、「上級階層に属している」「人生を自由に決められる」「生活に満足」「自分は幸福」だと思うほど高くなり、逆に「下級階層に属している」「人生は自由にならない」「生活に不満足」「自分は不幸」と思うほど低くなります。

比較の結果、ポジティブ感情の傾向は以下のようになっています。

  1. 大卒の方が非大卒より高い(例外なし)
  2. 他のパラメータが一緒なら男性より女性の方が高い(壮年大卒男性のみ例外)
  3. 他のパラメータが一緒なら壮年より若年の方が高い(壮年大卒男性のみ例外)

この中で大卒/非大卒は例外なくはっきりと違いが出ており、調査者も「現代社会は学歴によって上流/下流に分断されている」と言っています。

ここでの学歴は、東大とか京大とかという学校歴ではなく、高卒/大卒という本来の意味での学歴という意味です。

また筆者は、教育の本質は「上級/下級」に社会を分断する「格差拡大装置」である、と述べています。

全ての子供は努力して勉強して大学を目指すべき、という現代の教育では学校や勉強に適応できなかった子供たちはそのことで苦しみ、大学どころか高校へすら行かなくなります。

福沢諭吉も「人は生まれもっての差はないが、学があれば富み、学がなければ貧乏になる」と言っています。教育の本質が格差拡大装置であることは福沢も知っていたのです。

「モテ」と「非モテ」の進化論

前述の調査結果の中で、ポジティブ感情が高い大卒者の中で若者の男性は「自分は幸福だと思う」という項目においては非常に低い結果が出ています。

また非大卒の若者男性も「自由に生きられている」という項目を除けば非常に低い結果が出ています。

男性の若者たちは幸福度が低いのでしょうか?その原因は「モテ/非モテ」です。

この話をするには進化論的な男性と女性のモテの仕組みが違うという話をする必要があります。

あらゆる調査が明らかにしているように、女性がモテる最大の要素は「若さ」です。一方で男性がモテる要素は「金と権力」、すなわち共同体内での地位です。

つまり男性の性淘汰では「持てる者(金/権力がある)」と「モテる」が一致し、「持たざる者(金も権力もない)」と「モテない」が一致します。女性は持てる持たざるはモテ/非モテには関係していないことが分かっています。

また日本国内では男性の未婚率が上がっている一方で女性の未婚率はさほど上がっていません。しかし男女の数が同じぐらいなのだから、男性の未婚率が上がるなら女性の未婚率も上がらなければおかしいはずです。

この答えは一部の男性が複数の女性と結婚していることに他ならないのです。

これは先進国全体の傾向ですが、離婚した男性は(若い)未婚の女性と結婚し、離婚した女性は再婚はしません。

こうして一部の「モテる」男性が結婚と離婚を繰り返し、事実上の一夫多妻制のようになっているのです。

そして一夫一妻制は非モテに有利、一夫多妻はモテと女性に有利な制度です。

というのも一夫一妻では非モテにも女性が回ってくる確率が上がります、しかし一夫多妻の場合、うだつの上がらない非モテと結婚するぐらいなら金も権力もあるモテの二号三号になるほうが良いと考える女性もかなりの数になることが、イスラム圏などの一夫多妻制の国の例からもわかっています。

なので事実上の一夫多妻制になっている現状は、モテと非モテという面でも上級国民/下級国民の分断が助長されているのです。

Part 2まとめ
教育は格差拡大装置、大卒と非大卒が一つの上級と下級を分ける大きな分水嶺になっている。

また壮年の人たちの時代は一夫一妻だったが、現代は男性の未婚率の上昇からわかる通り事実上の一夫多妻時代になってきている。

モテ男性はより有利に、非モテ男性はより不利になり、そのため持たざる者(非モテ)、特に若者男性の幸福度が下がっていることが考えられる。

女性は教育による差はあるが、男性とモテの構造が違うためこのような格差はない。

Part 3 世界を揺るがす「上級/下級」の分断

リベラル化する世界

中世や近世、また戦前までの日本においても、自分の人生を自分で選択するという考えを持つ人はほとんどいませんでした。

しかし近代では自由に人生を選択し、自由に生きるリベラルな世界というのが当たり前になっています。

このリベラル化(自由化)が進むと、結果に対する責任の所在は全て選択を行った個人に返ってきます。

これは究極の能力主義の世界になることを意味しています。

能力主義の世界では本人のやる気、努力が経済格差に反映されるのは当然という考え方で、これは全て自己責任であるということです。

ウルリッヒ・ベックはこの自由社会を「リスク社会」と表現しました。

リスク社会では、投資などと同じで、何かリターンを得るために自由にリスクを取る選択を人生でする社会になっていますが、自由意志でした選択で負け組になる人たちが出てくることは避けられません。

アンソニー・ギデンズは「再帰*的近代」という考えをしました。

近代以前では自己の定義に「貴族」「農民」といった身分を参照していましたが、近代ではそのような区別はなくなったので、自己の定義に自己を参照するしかなくなりました。

また階級社会であった前近代では資本と労働者が対立し、失業などはその階級による問題でしたが、リベラル化した後期近代では労働者はもはや自分を労働者ではなく「個人」とみなし、経済的な責任については自己を参照するしかなくなりました。

このように現代社会のあらゆるものは自己を参照する以外なくなったという再帰性から説明できるのです。

*再帰:あるものの定義にそれ自身を含むこと。自己の定義に自己を参照しているから再帰的。

ジークムント・バウマンはリベラル化する社会を「社会が液状化する」と表現しました。

リベラルが進むとあらゆるコミュニティは解体され人々は「液状化」します。液状化した社会の最下層には自由競争で落ちこぼれたポイ捨て人間と呼ばれる層が形成されます。

人々が自由を謳歌する一方で、「余分」なポイ捨て人間は廃棄物処分場で、リサイクルされたり、ごみの山にポイ捨てされているのです。

これら「リスク社会」「再帰的近代」「液状化社会」は同じ現象を説明しているというのがわかります。

そしてこれらは「近代(モダン)」という理念の完成形なのです。液状化したリベラルな社会は後戻りはしません。

より幸せに生きることを望みリベラル化は進みますが、それに適応できなかったポイ捨て人間と、きちんと適応できたリベラルを謳歌する人たちの間で「上級/下級」の分断は加速していきます。

「リバタニア」と「ドメスティックス」

農業革命時代は、人々が使う道具は単純であったため、誰が見てもその仕組みを理解することは難しくありませんでした。

しかし産業革命以降、テクノロジーの進歩により、一部の知識人のみが道具の仕組みを理解できるという時代になりました。これが知識社会化です。

このテクノロジーの爆発で豊かな知識社会が訪れると、共同体から解放された人々が自由に自己表現を始めます。これはリベラル化です。

またテクノロジーにより世界の壁がなくなりグローバル化も進みます。

つまり「知識社会化」「リベラル化」「グローバル化」は三位一体なのです。

しかし一方で知識化社会では仕事をする際の知識のハードルが上がるため、ハードルを越えられない落ちこぼれが出てくるようになります。

世界はリベラルに向かっているのに、アメリカのトランプ政権やイギリスのブレクジットのようにナショナリズムの様相を呈している理由は、「知識社会化」「リベラル化」「グローバル化」に適応できなかったこれら多くの落ちこぼれたちが、反知識社会・反リベラル化・反グローバル化を支持しているからです。

トランプ大統領は彼らを発見し、支持者とすることで勝ち上がった人です。

そのような落ちこぼれとは真逆の立場として、アメリカにはボボズと呼ばれる西海岸の若い富裕層たちがいます。

彼らはカジュアルな服装でフリーエージェントとして働き、政治的にはリベラルで、高学歴、テクノロジーによる今よりも良い世界、今よりも良い暮らしを望んでいます。

またエニウェア族(どこでも大丈夫な人)とサムウェア族(どこかに固着する人)という分け方もあります。

エニウェア族は仕事があればどこにでも移動して住むことができ、地元を離れて都市の大学に進学し、進歩的な価値観や能力主義に適応しています。知識社会・グローバル化に適応する能力がある人たちのこととも言えます。

サムウェア族は中高を出て地元で結婚し子供を育てる人たちです。個人の権利より地域の秩序を重視し、宗教や伝統を尊重する人々です。グローバル化とは逆を行く生き方です。

前出のボボズやリバタニアンはエニウェア族で、落ちこぼれやポイ捨て人間といった知識社会やグローバル化に適応できない人々はサムウェア族です。

このエニウェア族とサムウェア族の分断は、人種や宗教によるものではありません。知識社会における分断の条件、それは人々の「知能」です。

筆者はエニウェア族をリバタニア、サムウェア族をドメスティックスと呼んでいます。

リバタニアは複数のアイデンティティを持っており、一つのアイデンティティにこだわることを嫌います。

結果、国や地域、国籍や人種といったものにとらわれず、国境を越えた仮想コミュニティを自分たちで作りだします。

一方でドメスティックスはアイデンティティの数が少ない、あるいは1つしかないためそれにしがみつきます。

例えば日本人である以外に誇ることがない人間がネトウヨとなり排外主義者となったり、白人であることしか誇ることがない人が人種差別主義者となります。

ドメスティックスはアイデンティティの衝突を繰り返し、反日活動、ブレクジット、トランプ政権などに見られるナショナリズムを引き起こします。

リバタニアはこのようなアイデンティティの衝突を嫌うので、将来的に社会とは距離を置くのではないかと考えられます。

もちろん日本も例外ではありません。これは現在の私たちが体験している「リベラル化している世界の分断」なのです。

まとめ

日本の上級国民
  • 団塊の世代
  • 高学歴(大卒以上)
  • モテる男性(持てる者)
日本の下級国民
  • 団塊以降の世代
  • 低学歴(高卒、中卒)
  • 非モテ男性(持たざる者)

世界の上級国民
  • BOBOs(ボボズ)
  • リバタニア
  • ヒッピー
世界の下級国民
  • ホワイトトラッシュ
  • ドメスティックス
  • ネトウヨ、ナショナリスト、イエローベスト
管理人
リバタニアの国内例だと堀江貴文氏はすごくわかりやすいね。定住せずにずっとホテル暮らししてるし、中国と争うぐらいなら尖閣あげてしまえというぐらい国家にこだわりがないからね。

彼の著書:多動力はまさにリバタニア的な生き方とはなんぞや、というのを解説している良書だと思います。これも要約してるからよかったら見てください(宣伝)。

【本要約】多動力 堀江貴文著【ビジネス書】

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